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大海人皇子圧勝はなぜ。古代からの伝言―壬申の乱 八木 荘司



僕の歴史趣味の範囲は、ほぼ飛鳥時代。年代で言うと645年乙巳の変前から
平城京遷都710年あたりまでの50年間ほどにあたります。
なので読む本も同じテーマのが、出て来るのね

日本では、皇位をめぐるクーデター昔は、皇室典範なんてないので好き勝手な
解釈の末にごちゃごちゃあった。その最大の内乱が壬申の乱

いきさつは今回置いといて、なんでいわば正規軍である大友皇子(朝廷側)
にわずかな人数で吉野へ逃げた大海人皇子が、あれほどあっさり圧勝!したのか

戦国時代みたいに武器で戦う時代ではなく合戦とは様相が違います。
武士も存在しないし武将もいない。豪族はいた。
単純に、天智天皇(嫌われ度NO1)VS天武天皇(好感度NO1)の構図が、その時点で
世間に浸透していたのだろうか? 大友皇子は、母親の身分が怪しい点も痛い。

ネットもSNSもない時代、根回しっても徒歩でしょ。あ~これを読むと近江の国
大津。瀬田の唐橋行きたくなるぅ~
ちなみに瀬田の唐橋とは、壬申の乱最終決戦の舞台であります。

歴史に偶然は無し!


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