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【橋を見る24】瀬田の唐橋(昭和54年)〜唐橋を制するものは天下を制す〜日本三大名橋

あけまして橋幾三です!もう少しライトに行こうぜと言うことで今年からは

「橋探訪」を「橋を見る」にタイトルを変更しました。

瀬田の唐橋/ 日本の道百選・日本百名橋・日本三大古橋

琵琶湖から唯一流れ出す瀬田川にかかる瀬田の唐橋は、中洲を挟んで二本の橋からなり色んな年代の

擬宝珠を持つ欄干と桁隠しが見られる。

初代の竣工は、667年(天智6年)古代より軍事上最も重要な橋であり壬申の乱を始め数々の決戦の舞台となった。そのため何度も落とされては架け治され織田信長により本格的な橋が建設された。

なぜそんなに重要なのか?

東から京へ攻め入るには琵琶湖を船で渡るか瀬田の唐橋を渡るしか方法がなかった

他の橋渡ればええやん? それが瀬田川には他の橋を架けることが禁じられていました

これは明治初期まで続いた。

急がば回れの語源

京へ入るにはもっと北の琵琶湖を船で渡るのが早いが比叡おろしが吹く危険な

渡河よりも遠回りでも安全な瀬田の唐橋を通るほうがよいことから「急がば回れ」と

言われるようになる。

俵藤太オオムカデ退治伝説の絵図ですね。瀬田の唐橋に巨大オオムカデがいて怖くて

渡れません!と泣きながら美女が訴えるので俵藤太がやっつけると実はその美女が

大ムカデだったチャンちゃんて話(うるおぼえなので正確ではない)

俵藤太(藤原秀郷)ー平将門の乱にて平将門の目を打ち抜き倒したらしい

近江八景「勢田夕照」(せたせきしょう)

中洲は今よりもずっと小さかったようですね

ビワイチ起点・終点

瀬田の唐橋は、琵琶湖一周サイクリングの起点であり終点としても知られています。

〜唐橋を制するものは天下を制す〜歴史ファンにはたまらないロマンを秘めた名橋です。

 

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