免停が明けてからも俺は、六甲、甲山を走りまわっていた。
特に↓にある蓬莱狭に入ってはダートで遊んでいたのです。
エンジンは先のMR50と同じだが0.3馬力だけUPしていた。生産年数わずか2年だった
ために今では伝説のマシンとなっています。
その後に出たのが前輪にディスクブレーキを装着したシリーズ化されてくRD50
即座にこちらへ乗り換えた。
何度も怖い思いをしたもんです。
親にあれほど怒られたのに何故また乗れてるかと言いますと、前回で書いた
保護観察期間は、保護詞の元へ日々学校のテスト結果や宿題などを見せねばならなかったのですが、生まれた時から神童と呼ばれてたので、学業の成績だけは誰にも
文句言わせね~高校3年間オール5が、保護司を親をバイク黙認させていました。
次回50CCを卒業、大型二輪取得へつづく