大手商社に勤めていた父親。そのせいで一家は半年ごとに転勤
大阪、京都、東京と何度転校したのか数えることもできない。
さすがに上海転勤にはついていけず。
なので「ふるさと」と言うものはない(さとふるではい)
18歳の時に親元を離れ京都~奈良で暮らしたあと流れついた伊賀上野
もう15年もここに住んでいる。
たぶんこの小さなお城の町に骨をうずめるんだろうな
僕がこの町に来た時の名前は、「上野市」だった。その後今の「伊賀市」となったが
「伊賀上野」と呼ばれることが多い。
レトロな建物もまだ残る
各地をさまよう人間には、土地に対する「愛着」が薄く、人間関係も希薄なのが
わずらわしくなく好みだ。
そんな自分であっても15年と言う歳月は、土地への愛着心を育てるんだね
いつしか伊賀の町を誇れるようになっている。
遠い昔ね、「五つの赤い風船」てフォークグループがあった
そのリーダー西岡たかしが「うえの町」と言う歌を残している
1975年発売のシングルだが、46年後の今も歌詞の情景はほとんど変わっていない
これがもしかして・・・ふるさとなのかもしれない