橿原線残りまだ未撮影の区間を時折猛吹雪の奈良盆地を走る。
ここを攻略すると京都駅ー吉野駅までの南北タテのラインをクリアーだ
今日は、駅めぐりを始める前に稗田環濠集落と稗田阿礼とはだれじゃ訪ねてみた
場所は名阪郡山から24号を北上し丸亀製麺のある交差点を左折ししばらく走ると
到着する。最寄駅は近鉄郡山
弥生時代になると稲作が始まる。田んぼに引く水がある川の近くに村を作る
だが川から離れた村では水がこね〜〜〜なら川近くの村をぶんどるぜ!と
争いが始まる。そこで自衛と水利を兼ねて村の周囲を環濠で囲ったのだ。
時は流れ土地の争いが収まると環濠は溜池に変わり生活には不便な環濠は埋立られ
姿を消した。
そんな環濠集落が、少なくとも室町時代から姿を変えず現役で残るのが
稗田環濠集落(ひえだかんごうしゅうらく)だ。
村は東西南北共に約260メートルその中に家屋が密集している
特に北東の七曲がりと呼ばれる地形は興味深い
村の中も特殊な形をしている
道路は先を見通せないように食い違い、T字路、袋小路など迷路のようになっていて
容易に敵に発見されないようになっている。これは我が町伊賀上野にも見られる仕掛けだ。
堀で外部と遮断された村は異空間のようだった。これほどの環濠を巡らせるのだから
村人はなかりの豪農なのだろう。
郡山にはこのような環濠集落が点在するのだが、これらは塊村と呼ばれ村内には
寺と神社が必ず設けられている。
さて稗田阿礼(ひえだのあれい)どこかで聞いたことがあると思う
この稗田の地出身と言われるアレイは、天武天皇の舎人(天皇の雑用係)だが
なんせ頭が良かった記憶力は聖徳太子よりも上かもしれない。
日本初の歴史書『古事記』の編纂をアレイと太安万侶(おおのやすまろ)に任せる
アレイは記憶だけを頼りに口頭でヤスマロに古事記の内容を伝えヤスマロが書き写す。
まさに天才でありながら聖徳太子のようなスーパースターとして語り継がれてはいないのがとても残念である。
下つ道を通り目的の駅へ向かおう
三宅町は奈良県で一番小さい町
田原本町は桃太郎生誕の地。え〜〜〜〜桃太郎って岡山じゃね〜のかよ
岡山へはここから遠征に行ってただけです。桃太郎は桃から生まれたわけではなくて
第7代孝霊天皇の皇子で当時都だった田原本町黒田で今れ育ちました。
【橿原線】完撮完了 大和西大寺駅ー橿原神宮前駅間 17駅 23.8キロ
🚞【プロジェクトK】進捗状況
⭐️全駅数286(501.1キロ)
⭐️行った駅 110駅
⭐️残り 176駅
全路線数24路線
⭐️攻略線6 攻略駅間距離114.6キロ
志摩線16駅24.5キロ
天理線4駅4.5キロ
京都線26駅34.6キロ
生駒鋼索線2駅(宝山寺線0.9キロ)
生駒鋼索線4駅(山上線1.1キロ)
吉野線16駅(25.2キロ)
橿原線17駅(23.8キロ)
⭐️残り17路線
🚞総鉄道駅撮影数:164駅