近鉄最恐の秘境駅と言われる西青山駅から南へ山道を3キロ入ったところにある
奥鹿野(おくがの)という集落
かつては鹿が走り回る原野に人が住みつき周囲5キロ圏内には他の村もなくさながら桃源郷のような感じだ。22世帯62人が暮らしている。取材中に一度も人の姿を見かけることはなかった。
今回のターゲット血黒橋は、村中心部を少し離れた柏尾川にひっそりと架かっていた
【全景】
【高欄】
欄干の低さが際立つ味のある古風な橋です。四隅には欄干より高い親柱を備える。
欄干中程に横長のスリットがデザインされているみたい。
【親柱】
親柱には銅板を型抜きした銘板があり昭和廿六年三月架橋とある字体がいいね〜
反対側の親柱にはこの橋のハイライト血黒橋の文字がある
なぜこのようなおどろおどろしい名前なのかせめて血染橋とか鮮血橋とかもダメか
採血橋・・・献血橋ならいいかも確かな名前の由来は不明ですが、かつて天正伊賀の乱でこの奥鹿野も信長軍1万に攻め込まれ伊賀衆わずが200人が戦いの末全滅した記録がありそれに由来するものかもしれない。
下流へ行くと木津川と合流する柏尾川は、この先の上流で一気に細くなり源流になります。
自分も昭和真っ只中人間なので自分よりも先輩の昭和がこうしてまだ現役で渡れる橋として存在しそれに直に触れることもできて且つ完全無料なのが橋探訪の魅力なのだ。
ではまた次回