こんばんは!式内幾男です。坂戸神社はここ猪田神社に合祀され旧社地、古社地もない
離れた別の神社に合祀されることは、かつてあった地の氏神がなくなり今日からアソコが坂戸神社ですと言われてもテンション上がらないことだろう
坂戸神社は、創祀もその後の経緯も不明であり唯一延喜式神名帳に記載されいること
以外に残された資料はない。後に当初は今の才良村にあったとされ杉谷神社へ合祀
されたあと猪田神社へ合祀されたとある。
そもそも神社合祀令のきっかけになったのが、明治後期の馬鹿な政治家がヨーロッパの
豪壮なキリスト教会を見て日本の貧弱な神社建築を廃しキリスト教会のような
立派な建物にすべきだ!などと単に西洋への劣等感から国にそう報告したのが
引き金。
合併し廃止された小さな神社の森は次々伐採されお金に換えた、自然環境は破壊され村人の精神的拠り所は、縁もゆかりもない離れた別の神社になってしまう
この法律は当初からおかしいと訴え続けた柳田國男と南方熊楠の努力により廃止されるが、時すでに遅く前回の記事にも書いたように特に三重県では9割の神社が合祀により
姿を消してしまうのです。